テンシュテットPart 2

異例のことながらテンシュテットPart 2

彼のコンサートを初めて聴いたのは1991年9月、ベートーヴェンの『英雄』交響曲でした。前述のマーラーの6番が同年11月、そして最後のマーラーの7番が1993年。3曲ともCDになっているので、日付を見ました。

ということは、私は3年間しかテンシュテットを聴かなかった?しかも91年は私がまだ音楽を志す前です。

信じられない事実に今呆然としてこれを書いています。

ベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルト(ナイジェル・ケネディの「一旦」引退公演)とブラームスの1番のリハーサルも聴きました。このときに2人のサインをもらいました。92年10月13日と日付を書いてあります。


テンシュテットはマーラーについてこう語っています。

「マーラーは非常に悲惨な人生を送った。たくさんの困難に見舞われた。マーラーを指揮するのは非常に難しい。それは『小さなマーラー』になる必要があるからだ。それには沢山の経験、とりわけ酷い経験がおそらくは必要だ。これだけは若い指揮者に言いたい。あまり早くにマーラーを指揮しないこと。私も自分の人生では大変な困難を味わったが、それは私がマーラーを理解するのに必要な道だった。これは他の作曲家には当てはまらないがマーラーには必要なのだ。」



リハーサルで会ったテンシュテットは、痩せていて、着古して薄汚れたシャツを着ていて、髪はくしゃくしゃで、お肌の手入れなどもちろんしていなくて、フラフラしていて、声はガラガラで(これは喉頭癌の治療のせい)、年齢より10歳以上歳をとって見えて、とにかく、みんなが思い描くスタイリッシュな指揮者にはとうてい見えないような人でした。

テンシュテットは大変に緊張する人で、ステージに上がる前に柱につかまって、「出ていけない、無理だ!」と叫ぶのが常だったそうです。メンバーが集まってきて、「マエストロは指揮台に立っているだけでいいんです。あとは我々がやりますから」と言ってもダメ。そこに奥さんがやってきて、「クラウス、何やってるのよ、行きなさい!」と言ってお尻をペンペーンと叩くと、ようやくステージによろよろと出ていったのだそうです。

それにしては彼の登場の仕方はすごかった。出てきただけでブラボーの嵐です。そして文字通り、指揮台に立っただけでものすごい音が出るのでした。

「テンシュテットのいないロンドンフィルは、ミック・ジャガーのいないローリングストーンズ」とまで言われた指揮者でした。