第1回演奏会(2021年4月4日)曲目解説


ディヴェルティメント ヘ長調 K.138
1 Allegro
2 Andante
3 Presto

「モーツァルトには遊戯があるでしょう。~中略~ディヴェルティメントなんて、音楽のいちばん上質な部分ですよ」

池内 紀「モーツァルト考」より

当時ザルツブルクでは、ディヴェルティメントやセレナーデといった音楽が盛んでした。そのいくつかは、大学の卒業生が卒業祝いに街を練り歩き、楽士たちが寄り添って行進曲を奏で、着いた先の貴族の館などで本編が演奏されたそうです。小さな宝石箱のような街ザルツブルクに行進曲が響き渡る。さぞや美しい、夢のような光景だったことでしょう。

K.138は、3曲の短い弦楽のためのディヴェルティメントの最後を飾る曲です。若々しさに溢れ、しかし曲のあちらこちらに見られる深みのある美しさは言語を絶するものです。こんな曲を16歳で書いた神のようなモーツァルト。しかし彼は一生の間にずっと前へ進んで、どんどん人生の深淵に迫るような作品を作りました。


ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
1 Allegro maestoso
2 Andante
3 Presto

「天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。~中略~天才はむしろ努力を発明する。」

小林秀雄「モオツァルト」より

20歳の頃、モーツァルトはパリ旅行に出かけます。今で言うところの「キャリア」のためです。しかしパリの街は、かつての神童に冷たかった。本当に冷たかった。さらに、モーツァルトは同行した母親をパリで亡くします。

父親に綴った手紙。

「お母さんは大丈夫。でももしもの時のために心構えをしましょう。それはそうと僕のシンフォニーは大変な評判でした。嬉しくて帰りにアイスクリームを食べました。」

亡くなった母親の亡骸の前で書かれた手紙です。
友人への手紙。

「母は亡くなった。どうかこのことを父にそれとなく仄かしてはくれないか。」

父親への第2信。

「お父さん、僕を許してください。お母さんは天に召されました。でもお父さんに急なショックを与えたくなかったのです。」

初めて身内の死に接したモーツァルトの、繊細で、思いやりがあって、誠意あふれる、でもどこか考えすぎと言えなくもないこれらの手紙が、彼の純粋さを表しているように思われます。

困難は人間を大きくします。

ザルツブルクに帰ったモーツァルトは傑作を書き続けます。そのうちのひとつがシンフォニア・コンチェルタンテ、「交響的協奏曲」です。この曲の底抜けの明るさとウキウキした感じ、それとは対照的に急に押し黙るかのような影のある旋律、それらは第1楽章に現れています。明暗をこれほどはっきりしたコントラスト書くように、いや、書けるようになったのは、あの辛いパリでの時間があったからだと思われてなりません。第2楽章はまさに「むせび泣き」です。

しかし第3楽章は、気を取り直して、どこまでも明るい。聴き手のことをいつも気にかけ、思いやりとサービス精神を持っていたモーツァルトの、明るい笑い声が聞こえるようです。幸せな、楽しげな気分に満ちて、曲ははじけるように幕を閉じます。


浄められた夜 シェーンベルク 弦楽合奏版(1943年)

「私にはもはやこの音楽は理解できないが、ここには何か素晴らしいものがある」
シェーンベルクの室内交響曲第1番を聴いての感想

グスタフ・マーラー

「赤ちゃんの泣き声なんてなんでもないわよ。12音技法の曲なんか聴かされるのに比べたら。」

パリの小児科の先生

シェーンベルクの音楽というと、ちょっと聴いただけではわからないような難解な音楽を想像しがちです。しかし、若い頃の彼の作品、例えばこの「浄められた夜」などは、ロマン派の香り溢れる作品で、むしろワーグナーやマーラーの作風に近いです。

この音楽は、デーメルという詩人の同名の詩につけられました。詩の大意をここに書きます。

男と女がふたり、夜の公園を歩いている
雲が月を覆い隠した暗い夜
女が言う
私はお腹に子供を宿しています
でもあなたの子ではないの
私は女としての幸せを得たくて
愛してもいない男の人に身を委ねました

その時私はどんなに幸せだったことでしょう
でも今私は大きな罰を受けることになりました
あなたに出会い、あなたを愛してしまったから
どうしていいのか、もう私にはわからない

男は黙ってずっとそれを聞いていた
すると突然雲が晴れ
月の光がさっと差し込んできてふたりを照らす
男は言う
その子供を一緒に育てよう
僕たち2人の子として
今、月の光がお腹の子供を浄めてくれた
そして僕たちをも

2人は手を取り合い
明るくなった夜道を歩いて遠くに消えた

後に残ったのは月の光

リヒャルト・デーメル「浄められた夜」

当時この詩と音楽は、あまりにも官能的で不道徳だと、大きな批判を受けました。しかし現在この曲は、20世紀初頭の古典として、多くの音楽家によって演奏され続けています。

原曲は弦楽六重奏でしたが、シェーンベルクはこの曲を弦楽合奏のために2回編曲しています。晩年の難解な作品が受け入れられなかった時、彼の生活を支えたのは、この「浄められた夜」の著作権だったそうです。

「音楽史上、最もロマンチックな音楽」

ディエゴ・マッソン

私の師匠の言葉です。

私の作品を分析してみると、私がどれだけ多くをモーツァルトに負っているかがわかるに違いない。〜中略〜私は『モーツァルトの弟子』だ。」

シェーンベルク「シェーンベルク音楽論選」より

佐藤俊太郎