グリーグ
ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)
ホルベア(Horberg )という文学者の生誕200年を記念して書かれた『ホルベアの時代』。通称の『ホルベルク組曲』はドイツ語読みです。ホルベアは1684年から1754年の人。ちょうどバッハやヘンデルの頃です。その頃の「オールドスタイル」で作曲されました。
「オールド」の特徴はふたつ。
まずひとつ目は、複数のソリストが活躍するコンチェルト・グロッソという形式です。有名なのはヘンデルですね。
また、各楽章がダンスの音楽になっています。バッハのパルティータなどと同じです。この曲のダンスの種類は下記の通り。
1)Praeludium(前奏曲)
規模の大きい楽曲の前に演奏される曲
2)Sarabande(サラバンド)
3拍子による荘重なダンス
3)Gavotte et Musette(ガヴォットとミュゼット)
G = フランスのフォークダンス
M = フランスの民族楽器の名前で、そのために作曲された旋律やダンス
4)Air(エール=アリア)
抒情的、旋律的な独唱曲
5)Rigaudon(リゴドン)
プロヴァンス地方起源のダンス
さて、グリーグは自分のことを、「小品を作る作曲家」と考えていたそうです。
壮大なイプセンの劇『ペール・ギュント』の劇音楽を依頼された時は2度断っています。渋々書いたこの作品が彼の代表作になったのは本人としてはどんな気持ちだったでしょうか。
この劇音楽には、有名な『オーセの死』や『ソルヴェイのうた』など、心に染み入る曲がたくさんあります。やはりグリーグはそうした繊細で、心の奥に染み入るような作品が得意だったのでしょう。『ホルベルグ組曲』の「アリア」は、まさにそのような曲です。
また、「ペール・ギュント」にも民族舞踊が多く現れるとおり、踊りの曲に溢れる躍動感もまた、グリーグお得意のものです。
彼の音楽の特徴を網羅しているこの曲。「オールドスタイル」とは言ってもグリーグのスタイルです。爽やかな北欧の風を感じさせてくれます。
エルガー
序奏とアレグロ(弦楽四重奏と弦楽合奏のための)
この曲もコンチェルト・グロッソのスタイルで書かれています。4人のソリストとして弦楽四重奏が活躍します。
エルガー48歳の時の作品。この4年前に書いた『威風堂々第1番』の圧倒的成功により国民的作曲家となった彼は、47歳の時にナイトの称号を与えられています。人気の絶頂にあったときに作られた曲です。
楽譜には、他の作曲家の作品にはほとんど見られない表情記号「Nobilimente」が出てきます。これはエルガー作品に繰り返し現れる「高貴な」音楽性を表しています。どこの部分かは、一聴瞭然。大英帝国の余裕、それとも英国紳士の佇まい? とにかく、「ああ、英国!」と思わされます。
しかしこの曲は「余裕」などというものではなく、プレーヤー全員に大変なテクニックを要求します。エルガーの音楽のヴィジョンを実現するために必要なテクニックです。それでいて難しさを感じさせない「余裕」を保っていなければいけません。
「序奏とアレグロ」を書きながら、エルガーの音楽性は熟成し続けていきました。それが大きく花開いたのが交響曲第1番。初演から1年の間に100回以上演奏されたという、音楽史上例を見ない驚異的な成功を得ました。
その前夜に書かれたこの作品。
現在日本の若手を代表するレグルス・クァルテットと、アンサンブル・アール・ヴィヴァンの、腕の鳴りまくる名手たちの演奏でお楽しみください。
ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品131
(サー・コリン・ディヴィスによる弦楽合奏版)
ベートーヴェンが世を去ったのは1827年3月26日。彼が最後に手紙を書いたのは3月21日。
「ガリツィン侯から未払いの125ドゥカーテンを、長い闘病中の今、私は必要としています」。
これが最後の手紙だとは……!
このガリツィン侯というロシア人こそが、そもそもベートーヴェンに弦楽四重奏曲を依頼した人物でした。1822年、『第九』を作曲中のベートーヴェンに届いたガリツィン侯からの手紙。
「1、2または3曲の弦楽四重奏曲を作曲していただけませんか。あなたが適当とお考えになるだけのお支払いをいたします(= いくらでもお支払いいたします)」
裕福だった依頼者はしかしその後急速に没落し、作曲料は一部しか支払われなかったようです。しかしこの人物こそが、ベートーヴェンの最後の創作意欲に火をつけたとは、なんとも皮肉なことです。
その結果、『後期』のカルテットとして、作品127、130、131、132、135が作曲されました。130の最終楽章は「大フーガ」として独立した曲になり、130の代わりの最終楽章がベートーヴェンの絶筆になりました。
「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれている。概ね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ味わいさえすればいいというわけにはいかない。芸術家の成熟は果実のそれではない」
テオドール・アドルノ
作品131は非常に特殊な、7楽章形式で書かれています。すべての楽章が続けて演奏され、全編およそ45分。難解と思われるかもしれません。
しかし世の中何事も、「表面を削ってみる」ことで、それまでに見えなかった素晴らしい世界が広がりますね。この曲の偉大な世界を一度発見したら、一生にわたって味わえるでしょう。この曲は一生味わい尽くすことのできる曲です。
私がロンドンで学生をしていた頃のこと。親友の指揮者が、サー・コリン・ディヴィスのアシスタントをしていました。「ベートーヴェンの後期カルテットを全曲、弦楽オーケストラで演奏したよ。サー・コリンが指揮したり、僕が指揮したりしながら編曲したんだ。」
サー・コリンは5曲とも編曲して、この作品131だけを出版しました。
何か意味があったはずです。
それを考えながらこの曲を一緒に味わってみませんか。
佐藤俊太郎