シャンドール・ヴェーグ

ある日中学生の佐藤少年は勉強に疲れて(?)リビングでうたた寝をしておりました。

するとテレビからオーケストラのすごい音が聴こえてきて、思わず飛び起きました。画面では面妖な(失礼!)と言っても過言ではない動きで指揮をする老人が、若いメンバーの前に立って演奏していました。なんだこれは!というほどの若さ弾ける生命力(どこかで聞いたフレーズですね)。本当にこの方の指揮は音楽だけを指揮するので、どうやってオーケストラが揃うのか不思議です。しかしそれは衝撃的なハイドンのシンフォニー(60番)でした。

さて、その放送から程なくして、ヴェーグ指揮、アンドラーシュ・シフのピアノ、オーケストラはカメラータ・アカデミカ・ザルツブルクでモーツァルトのピアノ協奏曲全集録音が行われ、そのうちの1枚のCDが我が家にやってきました。K.453の出だしのオーケストラを聴いた途端に、ああこれこそがモーツァルト!と中学生のくせに偉そうに思ったのでした。そのCDは今も私の部屋にあり、実は先ほど聴いたところです。

ヴァイオリニストとして、特にヴェーグ・カルテット(カザルスと演奏したシューベルトのクインテットの超絶録音をご存知の方もありましょう)の活動を続けていたヴェーグは、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の教授になり、その学校にあった、カメラータ・アカデミカ・ザルツブルクの指揮者になります。指揮を始めたのは50歳の頃、カメラータの指揮者になったのは60代だそうです。

このオーケストラは、弦楽器が主体だったようで、優秀な学生たちが教授たちと一緒に演奏する(どこかで聞いたような話ですね!)という団体で、それをヴェーグ先生は鍛えに鍛えまくった。

管楽器は当時の最高のソリストたちを連れてきています。ヴェーグ先生と演奏したくてみんな集まってきたのでしょう。私が中学生の時に聴いたCDには、ニコレ、ホリガー、トゥーネマン、ヴラトコヴィッチという綺羅星のような奏者の名前が書かれています。

のちに私がヴラトコヴィッチと共演したときにカメラータの話を聞いたのですが、彼曰く、何しろヴェーグ先生は学生に向かって、「君たちの演奏はなんでそんなに下手くそなのだ!」と怒っているのが常だったとか。

同じ話はカメラータで弾いていた弦楽器奏者からも聞きました。

「君は才能がある、彼も才能がある、そこの彼はあんまりないけど、でも後ろの彼女は才能がある。じゃあもっとちゃんと弾けるはずじゃないか!」学生が泣き出すこともしばしばだったそうです。

ヴェーグはベルリンフィルを1度、ウィーンフィルを2度指揮しています。ウィーンフィルのコンサートマスターから聞いた話によると、団員の1人を指差して、「そこの君!リハーサルだからといって手を抜かないでちゃんと弾きたまえ!」と怒ったんだそうです。「うちのオケに来てそういうことをした人はいないね」という話でした。

しかしながら「ヴェーグ教」信者と言っていいような弟子が世界中に散らばりました。

私がヘルシンキフィルにデビューしたときのプログラムは、モーツァルトの33番と40番のシンフォニー。それを聴きにきてくれた(初対面の)フィンランド人のヴィオラ奏者は、わざわざ打ち上げに参加してくれて、「君はヴェーグ弟子か、そうでなければ彼の録音をたくさん聴いているだろう?」「うん、出てるCDは全部持ってる」

彼もまた、カメラータで弾いていたことがあって、そのときのことを話してくれました。

「ある日のコンサート、あれは演奏はあんまりうまくいかなかった。ヴェーグ先生でも調子が乗らない日というのがあったんだね。それで、先生は最後のカーテンコールの時に、お客さんに向かって不思議な動きをした。お辞儀をしてから両手で何かを下から上へ持ち上げるような、そう、重い岩でも持ち上げるような動きをしたなあ。凄まじいエネルギーが僕らにも伝わってきたよ。そうしたらね、なんとそれに合わせてお客さんが全員立ち上がった!そしてブラボーの嵐になったんだよ。」