クライバーはインタビューを一切受けないアーティストで、公の場で話した記録はほとんど残されていません。
唯一私が知っているのは、まだ40代だった彼がバイエルン国立歌劇場の指揮者として初来日した時のこと。ある日本人記者の「あなたはオペラだけではなくコンサートも指揮するのですか」という質問に、たった一言、「たまにやっています」。実はその年にウィーンフィルと、あの衝撃的なデビュー盤『運命』を録音したのでしたが、それについてはまったく言わないあたり、さすがのクライバー様です。こういう話にクライバーファン(私のことです)は、いちいち感激するのです。
そんなわけで、クライバーについては、周囲が語った話だけが独り歩き、というか、大勢で闊歩しているわけです。例えばこんな感じ。
クライバーとカラヤンは仲が良かったそうですが、カラヤンいわく、
「クライバーは私の知っている中で最も有能な指揮者だ。問題は彼がその仕事を好きではないということだ。彼は冷蔵庫が空にならないと指揮しない。」
クライバーのお姉さんは言っています。
「どうしても指揮をするのが苦痛なんだと悩む彼に、私はいつも言ったものです。あなたは代わりに文章を書いたらいいって。」
ほとんどの「クライバーの本」「クライバーのドキュメンタリー番組」は、言ってみれば全てこの類のゴシップ(というか)で出来ており、まあ他に材料がないのだから仕方ありませんが、私はそれがずっと不満でした。
そうした私の積年の恨み辛み(?)を晴らすような本を今読んでいます!
あるアメリカ人の若い指揮者が、クライバーに弟子入りしたいと思って手紙を書くことにしました。でもきっとそんな手紙は世界中の指揮者の卵たちが出しているに違いないから、ということで、彼は練りに練った、ユーモア溢れるユニークな手紙を出します。
するとなんと返事が来た!
「君の文章は面白いので返事を出しちゃったじゃないか。君の経歴は実に素晴らしい(僕もそれに勝てるといいのだけれど!)。僕はほとんどコンサートをしないから(1年に1回くらいかな)君をアシスタントにして餓死させるわけにもいかない。まあとにかく一言で言えば僕はめんどうくさい人だ(このことは誰にも言わないように!)カルロス・クライバー」
クライバーの第一言語は英語でした。彼のお父さんは言わずと知れた大指揮者エーリヒ・クライバー、お母さんはアメリカ人。ハーフなんですね。カルロス君は英語で育ちました。だから英語のジョークやらシャレやら蘊蓄やらに溢れた凝った手紙が次々にクライバーから届きます。日本語に翻訳不可能な独特な文章です。以下、比較的わかりやすいところはこんな感じ。
「ベートーヴェンの7番のあそこはゆっくりじゃなくて速めに振らないと。メトロノームで言うと84より遅くちゃいけない。僕の録音ではあそこが遅すぎで申し訳ないが、君はそんなのを参考にしちゃダメだよ。」
「シャンドール・ヴェーグは指揮者としての僕のヒーローだ。彼こそは純粋な音楽。モンスター。あれで80歳。ワオー!信じられるかい?」
こういうやりとりが何十通も書かれ(かなり長い手紙が多いです)、それが本に載せてある。偉大なるクライバー様の肉声です。クライバーファン(私です)垂涎の一冊。感無量。生きててよかった!
「ここのところ君からの返信がない(何年もないように感じる)。もしかしたら前回の手紙で僕は君に、何か気に障ることを書いたんじゃないか。」
これはクライバーからの手紙です。逆じゃないんです。なんて繊細な・・・
そんなクライバーが崇拝する詩人がエミリー・ディキンソンだったとこの本で知りました。
生前に発表された数篇の詩もたいした話題にならず、55歳で亡くなるまでほとんど家に篭りっきりで人にも会わず、千数百篇の詩を作り続けたものの発表する気もなく、でもきちんと清書してジャンルごとにきれいに整理してあったそうですが、死後になって大きく認められて、今となっては偉大なる詩人ディキンソン。
完全な(完璧な)無名人として人生を生きた人を、生きている時から伝説だった人が崇拝していたとは。
60歳をすぎた頃から、もともと少なかったクライバーの登場回数はさらに著しく少なくなりました。ディキンソンに共感しながら家に篭っていた日もあったのではないでしょうか。
そんな頃に始まったこの若い指揮者との文通は、クライバーの人生の最後の時まで続いたそうです。手紙にはたびたびディキンソンの詩が綴られていました。
「いつも言う通り、ディキンソンが飼っていた Carlo という名前の犬の生まれ変わりなんだよ、僕は!」
I’m Nobody! Who are you?
Are you – Nobody – Too?
Then there’s a pair of us?
Don’t tell! they’d advertise – you know!
How dreary – to be – Somebody!
How public – like a Frog –
To tell one’s name – the livelong June –
To an admiring Bog!
Emily Dickinson
私は無名人! あなたは?
あなたも — 無名人 — なの?
じゃあ私たちふたりは仲間ってことね?
内緒にしてて! 言いふらされないように — いいわね!
わびしいものね — 有名人で — いることなんて!
うるさいものね — カエルみたいね —
自分の名前を言いふらしてるわ — 6月いっぱいの命の限り —
ちやほやしてくれる泥沼のようなくだらない世間に向かって!
(試訳)
**写真の鳥は、日本名を「ゴジュウカラ」、ドイツ名を「Kleiber」と言います。