日本音楽コンクールヴァイオリン部門1位、ピアノ部門1位、ショパンコンクール2位、4位、ジュネーブ国際コンクールチェロ1位、バルトーク弦楽四重奏コンクール1位。すべて桐朋学園出身者ですよ。ちなみにEAVのメンバーもほぼ全員桐朋。私だけ違うけどまあそれはいいでしょう。
指揮者としては、コンクールの本選の指揮、というものも頼まれることがあります。そんな時のリーハーサルでのひとコマ。
「そこはピアノが上がっていった一番上の音とオケが合わなくっちゃ!」
横で聴いていたソリストくんのお父さんが叫んだ。さっきからずっとうるさいぞ。
「ブチッ」
私は指揮台を降り、そのオヤジのところに行って指揮棒を差し出した。
「あなたが振りますか?」
「いやいやいやいや、私はその、えーっと、ほら、息子に言っただけです」
「ふ〜ん」
私は指揮台に戻った。親父は何も言わなくなった。
コンクールというのは何次まであるのかその時々ですが、だいたいは一人で弾いて勝ち残った人たち(嫌な表現ですねえ。音楽で勝ちも負けもないもんですが、コンクールってフランス語で『競争』ですからまあ仕方がない)がオーケストラと弾くのです。コンチェルトはだいたい6曲とか10曲とか、それくらいの曲から選択できるのですが、本選の指揮を頼まれたらそれらを全部勉強しておかねばならない。ここが辛いところです。だって勉強したのに演奏されない曲もあるのです。2次予選ではこういう顔ぶれだからこのコンチェルトはなくなったな、とか、3時予選でこのコンチェルトが残ったか、嫌だなあこの曲難しいんだよな、など、いちいち気にしていなくてはならない。指揮者ってこう見えて(どう見えて?)大変なのです。
そのフィンランドのコンクールでは、6人のファイナリストのうち3人がラフマニノフの2番を弾き、他はシューマン、プロコフィエフの3番、エングルント(フィンランドの作曲家。ご当地選曲ですね)でした。
このピアニストくんもラフマニノフの2番で、そのお父さんは地元の音楽院のピアノの先生らしく、息子は優勝候補ということであった。
もう1人ラフマニノフを弾いた男は最年長。
「ラフマニノフは自作自演の録音でこんなふうに弾いているので、自分もそう弾きたいです。それからここのところは、そうですねえ、しばらく、まるで別のことを考えてるみたいに、長い間を開けてください。」
そう言って鼻をほじる真似をした。笑ったなあ、あれは。コンクールでそういうことができるとはすごい。出てくる音楽は、なんというか、独特の色気があった。お子様には出せない音です。
鼻をほじった彼が優勝した。新聞記者が、優勝候補をひっくり返したと騒いでいた。
何もしてませんよ、私は。
佐藤俊太郎