指揮者カルロス・クライバー。レパートリーを限定して、共演するオケを選んで、公演数を絞って、そんな彼の生き方が素晴らしいと思っていました。
でも、あれだけの才能と、繊細さと、テンペラメントを持っていては、そうやって生きるしかなかったのかもしれないな、と最近思うようになってきました。
そんな彼の、お話をふたつ。はじめはパリの師匠から聞いた話。
シャンゼリゼ劇場の総支配人がクライバーに出演を打診しました。
「私たちの劇場にご出演いただきたい。世界中のどのオーケストラでも良いです。ソリストもお好きなように。オペラでもオーケストラ公演でも良いです。演目もご希望通り。そしてあなたには白紙の小切手をお送りしましょう。」
クライバーからの返事。
「あなたが私を呼びたい理由を、手書きで書いて送ってください。」
その支配人は一生懸命書いて、それでクライバーから来た答えは、一言、
「Non」
手書きだと何かがわかるのでしょうか?
もうひとつは、私のロンドンのマネージャーから聞いた話。
ある日、リュブリァーナの街中で、アマチュアのブラスバンドが演奏していました。でも、どうも上手く揃わない。するとそこにひとりの老人がスススっとやって来て、ちょっと指揮棒を貸してくれ、と言って少しリハーサルをした。そうするとバンドは見違えるように上手に演奏できるようになったので、老人は指揮棒を返して静かに立ち去った。それを見ていた人が、あれって、クライバーだったよな、と言ったそうな。
どこのオケでもいいと言われても指揮しないのに、田舎のバンドならいいのでしょうか?
クライバーは奥さんの言語であるスロヴェニア語もできたんですね。この話を私に教えてくれたマネージャーは、私にスロヴェニア放送響との仕事を作ってくれました。そのときに私はクライバーのお墓に連れて行ってもらいました。リュブリャーナから車で2時間。ひとりではとても行けないような場所でした。
憧れている人には、いつかどんな形かで会えるのかもしれません。
佐藤俊太郎