モーツァルが12歳の時に書いた交響曲のお話をしてみようかと思います。
1767年の出来事です(モーツァルトは1756年生まれ)。
父親レオポルドに連れられて、モーツァルトはお姉さんと共にウィーンに旅行しました。その時に天然痘が大流行。レオポルドは急いで子供たちを連れて、ウィーンからだいぶ離れたところまで逃げたのですが、時すでに遅し。姉も弟も感染して、生死を彷徨ったのだそうです。幸い2人とも回復しましたが。
ついこの前までなら、昔は大変だったのですね、ぐらいにしか思わなかったこの話、今はまったく人ごとではありません。
モーツァルトはこの交響曲をウィーンで書き始めて、病気が治ってから完成しています。
第2楽章には、モーツァルト自作のオペラ「アポロとヒアチントゥス」からのアリア、「我が息子は逝ってしまった」を使っています。これは、ヒアチントゥス(息子)を亡くした父と姉の嘆き。ダイレクトな引用ですね。
以上の事情を知らずに聴くと、実に幸せそうなメロディーなのですが、そういう音楽をとても悲しい歌詞に付けるのがモーツァルトのやり方。こんな初期の作品で、もうすでにそうなのかと驚かされます。第3楽章は、それまでの交響曲にはない、深い味わいが印象的です。安堵と喜びの気持ち。生きていてよかった。
そう、モーツァルトが生きていてくれて本当によかった。
交響曲第6番ヘ長調K.43。モーツァルト12歳の作品です。
うちの娘と同い年です。わお。
佐藤俊太郎