「フランス料理で食べたいものがあるんだけど、レストランでこれだけ見つからないんだよねー」
ある日、ディエゴの家でそう言った。
ディエゴは、私より40歳も年上の指揮の師匠だが、ほとんど最初っからディエゴだったし、私がフランス語で喋るようになってからも、vous ではなくて te で喋れというし、この曲は知らないんだけどお前はどうやって振ってるんだとか訊いてくるし、まあとにかく偉ぶらない人なのである。それである日、ディエゴと奥さんに訊いたのである。ラタトゥイユをどこで食べるべきか?
「あー、ディエゴは野菜嫌いだから私は作らないんだけどね、まあ私はエックス(エクスアンプロヴァンス)の人だからそりゃ作れるよ。明日食べよう」
と奥さん(ギットと言います。奥さんと呼ばれるのが何より嫌い)。
次の日の昼ごはん。出てきました、本式のラタトゥイユ!
しかしどうもディエゴがギットの機嫌を伺っている。どうやらこのラタトゥイユというのは作るのが非常に面倒くさいらしい。ギットは正統派のちゃんとした作り方で作ったもんだから(そういう人なのである)、野菜を1種類ずつ炒めて、というのが大変だったらしく、どうも作りながら機嫌が悪かったようなのだ。
でも、それは非常にうまかった!
ディエゴは気を遣って無理して喜んで見せている。そして突然話題を変えて、
「おい、日本でいちばん読まれているフランスの作家は誰だ?」
うーむ。月並を言ってはいけないのがこの家の家風なので気の利いたことを言わねば。5秒考えて口から出てきたのは、自分でも驚く、
「ジョルジュ・バタイユ」
ディエゴとギットは、おおお! とヤンヤヤンヤの大喜び。フランスでも今時バタイユを知ってる奴はいないぞ。よく知ってるなー! オマエはエラい!
いやー、それほどでもないのですが(だってバタイユが世界で一番読まれているのは日本なんじゃないか?)それにしても喜び方が常軌を逸しているなあ。
そうしたらなんと! バタイユはディエゴの叔父さんに当たる人なんだそうで。いやはや大変な話を聞いてしまってびっくり。パリの最高の知識人に囲まれて育った人なのだ。
「ディエゴと結婚しようと思ったのはねえ、ふたりでデゥマゴに行ったら、中からサルトルが、おーい、ディエゴーと呼んだ時よ」
サルトル……
そんなすごいディエゴは、
「日本人はラタトゥイユとバタイユが好きなんだなあ(笑)」
親父ギャグ……
Diego Masson
佐藤俊太郎