ベートーヴェン作品131

交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲はベートーヴェンの作品の3つの柱で、これらを彼は生涯にわたって書き続けました。

最後のピアノソナタ、そして第九。その後に書いていたのが、いわゆる「後期」弦楽四重奏曲です。
作品127、130、131、132、135。

作品130の最終楽章はあまりにも巨大なので『大フーガ』として独立した作品とされました。代わりの楽章をベートーヴェンは書きましたが、それが絶筆となりました。

ベートーヴェンが最後にたどり着いた境地について、ベートーヴェン自身が語っている言葉には凄みがあります。

「これらの曲は、演奏されるために書いたのではない」

この曲はヴァイオリンには難しすぎますよ、と、あるヴァイオリニストに言われたベートーヴェンは、「聖なるものからの啓示を受けて作曲しているときにヴァイオリンの都合など考えていられるか」と言い放っています。

そんなベートーヴェンが最後まで書き続けたこれらの作品、今ではほとんどのクァルテットが演奏しています。私も若い頃に弾いてみたことがあります。

でも指揮者だって指揮してみたい。そう思う人はやっぱりいるのですね。

ドミトリー・ミトロプーロスは、当時音楽監督だったニューヨーク・フィルで作品131を弦楽合奏で指揮しました。

その時アシスタントだったレナード・バーンスタインはずっとその演奏が忘れられず、のちにウィーンフィルとライブ録音を行いました。自分の生涯に作った録音の中から1枚だけ後世に残せるとしたらこの1枚にしたい、とまで言っています。

シャンドール・ヴェーグは、自身のヴェーグ・カルテットでこの曲をもちろん演奏していますが、後年指揮者となってからも、4つの若手の弦楽四重奏団を指導して、その講習会の最後に、全員で作品131を録音しています。

イギリスの指揮者、サー・コリン・ディヴィスは、ベートーヴェンの後期クァルテットを弦楽合奏で演奏する「実験」をしていて、ロンドンのギルドホール音楽院の学生オーケストラを自分が指揮したり、学生に指揮させて音響を確かめながら編曲を重ねていました。そして1曲だけ出版することにしたのが作品131です。

この4人の指揮者全員、どうしてこの曲を選んだのか?

どうしてか分かった方は是非ご意見をお寄せください。私も考えます。

佐藤俊太郎