20年前にベートーヴェンの作品131を初めて指揮したときのこと

フィンランドにて、ある日のリハーサルの休憩時間、指揮者室に入ると同時に電話が鳴った。

「ユハ・カンガスです。私のオーケストラを指揮しに来ていただけませんか?」

オストロボスニア室内管弦楽団は、もともとは中学生の弦楽アンサンブルだった。そのメンバーが育って、音大に入って、そして卒業した時にもアンサンブルは続いていた。カンガスは彼らをそっくりそのままプロのオーケストラにしてしまう。精力的に録音を発表し、瞬く間に世界的に知られるようになった。

「演奏したい曲はありますか?」

「ベートーヴェンの131です。編曲版が出版されたばかりです」

リハーサル初日、カンガスが出迎えてくれた。

「ようこそ。ところであなたもホテルに住む指揮者?」

「そんなことないです」

「私も違う。私はこのオーケストラの他は3つの決まったオーケストラしか指揮しないことにしています」

いきなりそういう挨拶である。

「今回のベートーヴェンの作品131は、うちのメンバーは誰も弾いたことがありません。私はすべてのリハーサルに立ち合うので何かあれば言ってください。」

ホテル住まいの対極にあるカンガスの矜持と充足がうかがえた。

20名ほどの団員は全員とても人柄がよく、規律正しく、それでいてリラックスしている。何しろ中学からの仲間である。カンガスは休憩時間にメンバー個々人にアドヴァイスをしていた。

気持ちのいいリハーサルを経て、熱気にあふれるコンサートになった。

特別コンサートだったので、オーケストラは教会のオルガンの前の高いところで弾いた。お客さんが見えない。お客さんからも見えない。

でもこれでいいのだ。

ベートーヴェンはこの曲を作曲したとき、お客さんどころか演奏されることすら想定しなかったという。

佐藤俊太郎


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2021年10月15日(金)18:30開演(18:00開場)
三鷹市芸術文化センター 風のホール